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まさえ
(mimu)
愛知県在住,40代。
一時期,こころとからだの勉強をしていました。ゲシュタルト療法やボディサイコセラピーなど,ソマティックアプローチの心理療法を中心に学んでいました。
現在は,ゆるゆると己事究明を続けつつ,趣味とセルフワークを兼ねて,日々楽器を弾いて過ごしています。
ピアノはオオハシ132EWを使用 (2020年10月~)。

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2025.4.27 ピアノ インプロヴィゼーション

インプロは面白い。

初めてピアノのインプロをやってみたのが、2011年の春。そのときのは和音をジャーン、ジャーン……と1分ほどつないでいくのが精一杯の、今よりもっとずっと拙くて、不自由な演奏だった。けれど、そこから始まって、14年経った今でもこうして弾いてみるときがあって……。はじめの1回だけじゃなく、こんなに長く続く試みになるなんてね。全く予想もしなかったことだ。

インプロはやろうと思ったときに、いつでも、そのときの自分なりでやれるのがいい。そして「面白いな」って思う。すごく面白いとか“やった感”があるようなのとは違う。ほどよい面白さ。何が出てくるか分からない少しの期待と緊張、何かかたちになるかしらという不安(というほどのものでもないけれど)、出てきたものの不思議さ、ときどきの意外性、それでいて“ちょうどいい”感じ、自分に馴染む、などなど。

以前にも書いたことがあるけれど、わたしの場合、インプロではイメージや意図を持たず、からだに任せて弾くというやり方を取っている。「次にどうなるか」という先の展開は、自分でもいつも分からない。手がいったところで音が鳴って、鳴った音が次の音を呼ぶ、自分はそこに居続ける、という感じかなぁ……。これまでに学んだことや練習してきたことが土台となり、枠組みとなり、インプロを支えてくれていると、よくそう思う。そのおかげでからだに任せてやれるし、自由に動ける。安心してはみ出すこともできる。

わたしのインプロは、パフォーマンス性やエンターテイメント性といったものは考えていない。その“イメージや意図”もまた持っていないので、仮にそういったものが感じられるような演奏になることがあったとしても、それはたまたまのこと。誰かや自分を「喜ばせたり楽しませたりする演奏」というより、今の自分の音を弾いている、それを自分が聴いている、という……これはやっぱり自分のワークだし、冒頭でも使った「試み」という言葉が合うように思う。

以前、心理系のセラピスト養成トレーニングに参加していた(セラピストを目指してではなく、自分のために行っていた)ときにお世話になったある先生が、わたしのインプロを聴いてくださったことがある。そのとき先生から、感想とともに

「これはずっと続けるといいよ」

という言葉をいただいた。とても嬉しかった。演奏や曲の良し悪しではなく、それとはまた別のこと……わたしがしていることや、そこに表れて出てきている何かを、大切に受け取ってもらえたような、分かってもらえたような、そんな気持ちになった。それ以前に、聴いてくださっただけでなく、メッセージまでくださったこと自体にも感激したし。

このときのことや先生からの言葉は、その後ずっとわたしのお守りになっている。この先も「やろう」と思ったときに、気負わず、インプロをやっていきたいなと思う。そして、録音したときには、またここに載せられるといい。

最近、予定外のことがいくつか生じて――そのうちの1つが先日の、パソコンのヒンジ部破損→修理だったわけだけど――ちょっぴりバタついていた。以前からの“揺らいでいる自分”はいくらか落ち着いているかな。ただ、人間関係で相変わらずというか、さすがにというか、気持ちがざわざわしたり、多少凹んだり、自分のことが嫌になっていたりして。

今回のインプロは、そんな自分を“調整”してくれた……弾いて、聴き返してみて、そんな感覚になっている自分に気づいた。“調整”なんて、初めてじゃないかな。リフレッシュやリセットではなく、調整。なるほどなぁ。それもいいね、面白いね、と思った。

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