

少し前のこと。ある場面、あることが起きて、そのとき、わたしは自分の「冷」な部分をはっきりと見た。あの感覚、「冷淡」とか「冷静」という言葉が近い感じはする。でも、そのふたつのどっちかというよりは、「冷淡」と「冷静」の間とか、両方が同時にあるとか、そんなあたり。目の前ではなかなかめんどくさいことが起きているのに、自分が妙に落ち着いてしまっていて、自分のその状態をひそかに面白く感じているわたしがいた。
「わたしは冷たい人間なのかな」
というのは、これまでに何度も何度も考え、悩んできたことだ。けれどあのときは、自分の冷淡さをいくらか感じながらも、不思議とそれがちっとも嫌じゃなかった。起きていることに対して、相手に対して、ほとんど何の気持ちもわかない。こころの中は静かだった。視界は広くクリア、自分が大きく感じられてもいた。わたしは「大丈夫」だったし、それが少し意外でもあった。
少し月日が経ち、最近になってようやく思ったことがある。自分の中、人間の中にはそりゃ「冷」な部分もあるよね。それの度合いや出方によっては問題になることがあると思うけれど、「冷」自体は、これも自分の大切な一部だ。そう思えたことで、また面白く、そして嬉しくなった。
自分の中の「冷」を認めることができて、そうしたら、こころが穏やかになった。これまでは「冷」を悪いものとしか見ていなかったし、自分のそんな面も、それを持っている自分自身も否定するか、変に開き直るか(結局これも認めているわけではない)……のどちらかになっていた。そして、悩む、自分を責める、嫌悪する。自分がどんどん小さくなっていく。
あのときは、その後もだけど、否定したくなるような悪いものとは思わなかった。なにか、だいぶ質が違うように思う。本当に不思議で、面白い感覚だったな。自分のあの「冷」に会えて良かった。その場でとても頼もしく感じられていたし、今、自分の支えの一部になっている。


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