1月3日に、初詣に行ってきました。
わたしの場合、初詣は「その気になったら行く」「行けたら行く」という程度。
そして、その程度でも行くようになったのはここ数年のことです。
以前に比べると、いくらか出かけることが苦にならなくなっています。
おととし(2015年)は、雪が残る中、 犬山成田山 へ行きました。
近くには 犬山城 があり、そちらも覗いてきました。
今年は、途中で何度か小雨に降られながらも、伊勢まで行ってお参りしてきました。
はじめに 二見興玉神社 (ふたみおきたまじんじゃ)へ行き、それから
伊勢神宮 の外宮(げくう)、内宮(ないくう)へ。
お参りの後は おはらい町 (おはらいまち)や おかげ横丁 をぶらぶらして、
最後に 猿田彦神社 に寄ってから帰ってきました。
「去年も1年間ありがとうございました」
神様にそうお礼を言ってくることができました。
外宮から内宮へ移動するバスの中でのことだったでしょうか、
わたしは旦那さんに、社会人になったばかりの頃の、会社での自分のことを話しました。
当時、旦那さんは同じ部署の先輩で、わたしたちは東京の支店に勤務していました。
なぜ、急に自分があの頃のことを話す気になったのかは、よく分かりません。
どんな気持ちで話し始めたんだったかも、もう忘れちゃった。
ただ、これまでずっと、その話にはなんとなく触れられないでいました。
どこか恐くて、まだまだ向き合えていない部分があったのかなぁ。
それが、あれから16年近く経って、ようやくそこに触れることができた、
先月3日のそのときに「あ、今だ」というような何かを感じた、そういうことだったのかな。
大学院を修了し、その会社で社会人としてのスタートを切ったものの、
わたしは早々につらくなってしまいました。
とにかくやることがありませんでした。何をすれば良いのか、全然分かりませんでした。
でも、同じ部署にはわたしの他にもほぼ同時期に入社した男子が2人いて、彼らを見ると、
いつも何かしら仕事をしている様子でした。少なくともわたしにはそう見えました。
もしかしたら、わたしだけが何も分かっていないのだろうか、
わたしだけが仕事をやれていないのだろうか……そう思って不安になりました。
周りに
「わたしは何をしたらいいですか?」
「今、どんな仕事をしているんですか?」
と聞けば良かったんだとは思う。
ただ、その部署のリーダー(役職は忘れてしまった)であった上司のNさんは
他県の支店のほうも兼任していて、いつも東京にいるわけではありませんでした。
東京にいるときであっても、現場等に出てしまっていてやっぱり不在だったり、
事務所でもとても忙しそうにしていたり。
なかなか聞けませんでした。
また、同じ部署の他の方たちにも、なんとなく聞きづらい雰囲気でした。
あるいは、「わたしは何をしたら――」と実際に聞いてみたこともあったのかもしれない。
けれど、なんだか分からないような曖昧な返事が返ってきただけとか、
「これをやって」とたまに何かをもらっても、それほど時間もかからずにやり終えてしまって、
すぐにまた同じ状況になってしまうとか……そんな感じだったのかもしれません。
わたしは毎日、時間をつぶすことに苦労し、くたびれていました。
たびたび屋上に出てはたばこを吸っていたし、机に突っ伏して寝てしまっていたこともあります。
やっと終業時間が来ても、帰りづらくて帰れませんでした。
同期の男の子たちはまだ何か仕事をしているみたい。他の人たちも仕事をしている。
自分だけ「やることがないから」「何をすれば良いのか分からないから」さっさと帰る ――
そんなこと、わたしにはできませんでした。
何もすることがない、何をしていれば良いのか分からない、それなのに
終業時間を過ぎた後も数時間、会社に居続ける。
そのこと自体もつらかったし、そんなことをしている自分がたまらなく嫌でした。
自分でやることを見つけられないわたしが無能なんだろうか、
自分がダメすぎるんだろうか……何度もそう思いました。
いろんな気持ちに押しつぶされそうでした。
話の途中ですが、今回はここまでにします。続きはまた次回。
写真は、2015年1月に犬山成田山、犬山城へ行ったときのものです。
犬山成田山(2015年1月)




犬山城(2015年1月)


▽「お伊勢参り ②」を読む
今回はコメント欄を閉じています。