- こちらの記事は2022年1月25日に書いたものです。
15年前の今日、さっちゃんが死んだ。さっちゃんはわたしの妹。踏切内に立ち入り、電車にはねられて亡くなった。27歳だった。
親戚の中には、さっちゃんが当時飲んでいた薬の副作用を疑う人もいた。けれどわたしは、薬とは関係なしに自殺したのではと、当時も今も思っている。そうだったとしても不思議はない、と考える自分がいる。
本当はどうだったのか、何があったのか、実際には分からないし、知りようもない。
「自殺でも不思議はない」
わたしがそう思うのは、わたし自身、子供の頃から希死念慮を持っていたというか、「消えてしまいたい」とよく思っていたからだ。具体的な計画を立てたり、実行に移したりしたことはなくて、そう思うだけではあるんだけど、子供の頃は毎日のように思っていたし、今でもときどきはそんな気持ちになる。
小学校のいつ頃からだったか、あるいはもう少し前からなんてこともあるのか、そしてどれくらいの期間だったかは覚えていないけれど、わたしは毎晩「朝になっても目が覚めませんように」と思いながら眠りについていた。そんなふうに自分が消えることを消極的に望んでいた。朝になって目が覚めるとがっかりした。1日の始まりはまるで「振り出しに戻る」のように感じられて、ぐったりした気分になった。あと1日どう乗り切るか、そういう気持ちで毎日を過ごしていた。
もう少し成長してからは、翌朝目が覚めないことを毎晩願うようなことはなくなった。けれど、毎朝の振り出しに戻る感じは相変わらずだったように思う。自分の未来なんて少しも想像できなかった。1日も早く消えてしまいたいわたしには、将来の夢も計画も全くなかった。
わたしの家は、たとえば虐待、面前DV、親が何かしらの病気、障害、依存症、親が不在など、言葉が良くないかもしれないけれど“分かりやすいかたちの問題”があった家ではない。けれど、あの家、あの家族の中にいて、わたしはいつも苦しかった。よく1人で泣いた。生きづらくてたまらなかった。何か問題があるわけでもないのに「消えてしまいたい」と思い続けているこのわたしは、どこか狂っているのかもしれない。あと1日、それを周りの誰にも知られないように、“普通のわたし” “問題ないわたし”を完璧にやらなければならない。そんなことを思っていた。わたしの場合、そうやって生きていた。
同じ家で育ったからといって、同じように感じ、同じように考えるとは限らない。さっちゃんとわたしは別の人間なんだし、家の外に出れば、誰と接して何を経験するかだって全く違う。それでもさっちゃんも、わたしと同じではないにしても、あの家で、あの家族の中で、つらさや消えてしまいたいという気持ちをずっと抱えて生きていたんじゃないだろうか、なんて思う。そう思ってしまうわたしがいる。
その意味で、15年前に亡くなったさっちゃんは、わたしにとっては自分でもある。死んだのがどっちだったとしてもおかしくはない、そういう感覚がわたしの中にある。
「さっちゃん、なんで死んじゃったの?」
ときどき、そう独り言をつぶやきたくなる。別に仲のいい姉妹ってわけじゃなかった。それどころか、さっちゃんとの間で解決したい、やり直したいと思っていたことは、少なくともわたしの側にはいくつもあった。本当の意味で“姉妹”だったことなんてあったのかしら、と思う。謙遜なんかじゃなく、少しも良い姉ではなかった。そんなわたしだけど、それでも今、ときどき、さっちゃんがもういなくて、そのまま日々が過ぎていくことが、悲しく、淋しい。
死んじゃってからようやくあれこれ思うなんて、わたしも大概、自分勝手な人間だなと思う。そして、死んじゃってからのあれこれだとしても、それを言い合ったり、あるいは15年前のことに限らず、さっちゃんのことを実はろくに知らないわたしにさっちゃんのことを聞かせてくれたりするような家族は、当時も今も、わたしにはいるけれどいない。
家族って一体何なんだろうと思う。
わたしにはさっちゃんっていう妹がいた。
いたんだよね……?
「思うまま、出てくるままに書く」ことを優先して書きました。15年経っても、書いていてまだ少し苦しくなりますね。話の内容やつながりが分かりにくい部分もあったかと思いますが、お許しいただければ幸いです。
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