1週間ほど前にピアノのインプロを録りました。録音しながらのインプロはかなり久しぶりだったのと、9月末に買った今のピアノでは初めての録音だったのと。さらに今回は、レコーダーの設置方法や場所をこれまでとはちょっと変えていて。「試し録り」というくらいの気持ちから録ってみました。
その日、わたしは気持ちが沈んでいて、あまり気力もなく、集中力に欠けていたり、気持ちの踏ん張りがきかないような、少し投げやりになっているような、そんな状態でした。録音した音源を後で聴き返してみたとき、やっぱりそのようなものが録音されているなぁと思いました。
そんなわけだったし、試し録りだったし……と自分に言い訳もして、はじめはここに載せるつもりはありませんでした。自分のインプロに、自分自身に、「こんなのダメ」という評価、判断しかできなくて。“こんなの”が許せなかった。けれど何度か聴き返しているうちに
「いや、いいとか悪いとか、そういうことのためにやっているんじゃないんだった」
「この日のわたしはこうだった、そういうことじゃん」
と思えるようになってきて。そう思って改めて聴いてみれば、
「気力がなかったわりには、よく頑張ったかも」
という気持ちも出てきました。
今回、気力がなかったことや試し録りのつもりだったことで、普段なら力んでしまうところでかえって力が抜けている、そういう部分もあるように思います。また、弾き直しているところや、からだの声が聴こえてくるのを待っているときの“間”なんかも何か所かあって、音源を聴き返しているときに、なんていうのかな、何か大切なこと、大切な感覚を淡く思い出すような、そんな感じもありました。
「こんなのダメ」と思った自分はいなくなったわけじゃなくて、小さくはなっても今もちゃんといるんだけど、その自分も感じながら、その自分とも一緒に、この記事を書きました。

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