3月下旬から続けている早朝散歩。今朝もてくてく歩いていると、途中である光景を目にしました。4車線(片側2車線)の道路を後方から大きなトラックがやってきて、その運転手の方がなんと、車を走らせながら何か白いものを窓から外へ捨てていったのです。えー……、なんでよう!?
まだ朝早くて周りにそれほど人も車もいないから、思わずそういうことしちゃった?それともよくやるの?それ、車の中に置いておけなかったわけ?何かイライラしてたとか?でも道路はゴミ箱じゃないのですよ。ぐぬぬ。
お恥ずかしい話ですが、実はわたしの母も昔、そこら辺にゴミを捨ててしまうことのある人でした。記憶に残っているのは、スーパーで買い物をすると、お店の外に出たところでレシートをぽいっと捨ててしまう、というやつ。わたしは小学校低学年かそこらだったのかなぁ。母のその行為がわたしはいつも恥ずかしかったし、情けなかった。大人のくせに。しかも娘のわたしも一緒にいるのに、その目の前でやるか。かと言って、わたしにとって母は「すごく怖い人」だったので、その母に注意することなんてできやしない(それでも、ひょっとして1度くらいは言ってみたこともあったのかなぁ……)。いや、そもそもこういったことで子供が親に注意しなくちゃならないのも、だいぶおかしな話だけど。
母が捨てたレシートはわたしが毎回黙って拾い上げ、家に持ち帰って捨てていました。複雑な気分でした。今朝のトラックの運ちゃんみたいに、車の運転中に窓から何かを捨てたことも、もしかしたらあったかもしれない。その場合はもうどうにもならないですね、拾いに行けないし。
こういうのって、外にぽいっと捨てる瞬間、その人はどんな気持ちなんでしょうね。どんな心理状態がその人にそれをさせるんだろう?だって多分だけど、やってはいけないことっていうのは知らないわけじゃないですもんね。でもそれを自分に許可してしまう。平然とした顔でそれをやる(そう見える)。その人の中で何が起きているんだろう。
先日「未熟者 」というタイトルで記事を書きました。わたしはブログ記事を書くときによく言葉を調べるのですが、「未熟者」という言葉を検索にかけたとき、検索結果の中に『未熟者の天下 大人はどこに消えた?』という本を見つけました。2005年に出版された本で、社会学者の野村一夫さんという方の著書だそうです。
「大人はどこに消えた?」というサブタイトルがとても気になりました。それはわたしが子供の頃から、その中身は少しずつ変化しながらも、ずっと持ち続けてきた疑問であるとも言えるから、なのかもしれません。
昨日、この本を Amazon で注文してみました。新品はもう販売されていないので、古本です。
野村さんのサイト『SOCIUS.SCHULE』(ソキウス・シューレ)では、1次草稿が全文公開されています。
はじめは
「本を買わなくても、こちらを読むのでもいいかな」
とも思ったんですけどね。でも画面上の文字を追い続けるのは、目が、からだが、けっこう大変なんですよね。わたしはやっぱり、場所を取っても本は紙のほうがいいなぁ。電子書籍は未だに買ったことがありません。
「大人」とか「未熟」とかいうことに関して別に何か答えを求めて読むわけではないし、レビューや草稿のはじめのほうを読んだ感じからして、おそらくそういう本でもないんじゃないかな。自分の思いや考えが整理されたり、視野が広がったり、新しい発想を手に入れたり……そういったことがあるかもしれないとわくわくしながら、本が届くのを楽しみに待ちたいと思います。
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