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mimu
(まさえ)
愛知県在住,40代。
一時期,こころとからだの勉強をしていました。ゲシュタルト療法やボディサイコセラピーなど,ソマティックアプローチの心理療法を中心に学んでいました。
現在はゆるゆると己事究明を続けつつ,趣味とセルフワークを兼ねて,日々ピアノを弾いて過ごしています。
ピアノはオオハシ132EWを使用 (2020年10月~)。

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小さいわたし

画像素材
写真:Vaan Photography|Pexels

「ああ、また疲れちゃってるなぁ」と思う。そして、臆病にもなっている。興味をひかれていることはいくつかあるし、頑張りたい気持ちもあるけれど、今はひとりでじっとしていたい気分。ピアノの練習だけしていたい。

今年は花粉でだいぶエネルギーを消耗した。……って、忘れちゃってるだけで、わたし、毎年こんなこと思っていたりするんかな。それでも、年によって差があって、今年はけっこう来たなって感じがしたんだけどね。先月はくしゃみと鼻水が止まらなくなることが何度もあって、大変だった。最近はかなりマシな状態だけど、まだ少し鼻がぐずぐずして、たびたび 鼻セレブ のお世話になっている。

人間関係では相変わらず悩むばかり。というか、ある部分では“以前にも増して”かもしれない。2013年頃からセラピー(心理)を学んだり、ボディワークに取り組んだりしてきて、たとえば、それまでずっと自分の中にあった「人間が嫌い」が今はもうなくなったかといえば、全然そんなことはない。むしろ、ときには、相手によっては、以前の自分よりもずっと強く「嫌だ」と思ったり、怒りを覚えることもある。ただ、自分の中に「人間が嫌い」だけじゃなくて「好きだと思える人や尊敬できる人もいる」も加わった。これは、これでも、わたしにとってはけっこう大きな変化。そして「嫌だ」「嫌い」というときでも、その人の何が、どういうところが、どう嫌なのか、それが自分でちゃんと分かるようになったり、分からないときは「分からない」ということが分かるようになった。こういったことも案外大事なことだと思う。

それはともかく、昨年5月にあることがあって、その後のびっくりな展開に心底うんざりしたし、本当に嫌になってしまった。「これだから人間は嫌いなんだよ!」と言いたくなってくる。そういう自分を情けなくも思うおまけつき。あれから1年近く経ち、一連の出来事ややりとり自体の記憶はだいぶ薄れてきているけれど、傷つきや怒りの気持ちはからだにしっかり残っていて、これに悩まされたり、振り回されたりすることが今でもときどきある。まぁ、そういう自分を観察することや、どうケアしていくのか、どう過ごすのかを考えることは自分の勉強になるし、修行でもあるなぁと思う。そこは悪くないし、そう思うことが自分の慰めにもなっているか。「わたしはあの人たちとは違うんだ」といった具合で。これもまたちょっと情けないというか、子供じみた思い方かもしれないけれど。

コロナがだいぶ落ち着いて、リアル(対面)開催のワークショップ等の案内もよく見かけるようになってきた。「参加してみようかな」と思うものもいくつかあるにはある。が、どうも申し込むのをためらう自分がいる。オンライン開催のものには抵抗があり、結果的にワークショップという場から離れて約3年。どうしてか、何も分からないままに参加していたはじめの頃よりも、今また参加しようとすることのほうがずっと不安。それに加えて、先ほど触れた昨年5月以降のことが、自分をより臆病にさせてもいる。自分が思う以上に尾を引いているみたい。

興味や好奇心はあるのに、その気持ちだけで飛び込んでいけないのって、なんか悲しい。そりゃわたしはもともと活動的ってわけではないし、やりたいことは何でもやってみるっていうタイプでもないんだけどさ。それでも、セラピーやボディーワークは「面白そうだな」「やってみたいな」と思って、ずっと参加できていたんだけどな。

でもまぁ、仕方ないか。今はこうなんだもんね。無理するようなことでもないし。参加するかどうか、考える時間もまだある。

最近、ピアノを練習している時間が自分の救いや癒しになっている。弾いているといろんな気持ちがわいてくる。曲についても、自分についても、いろんな発見がある。自分を取り戻すような感覚もある。自分なりにではあるけれど、学ぶことが楽しい。悲しいのとは違う涙が出てくる。ひとりでも、ひとりじゃないと感じられる。目の前のピアノはなんだか不思議な存在として、変わらずいつもそこにいてくれる。

「これって、すごく贅沢な、幸せな時間を過ごしているのかもしれないなぁ」と思っている。

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