昨日、ピアノのことで調べものをしているときに、こんなページを見つけた。Yahoo!知恵袋での「ピアノ調律後の音の変化について」の質問と、それに対する現役調律師さんたちの回答。10年も前のやりとりだけど、読んで、わたしはちょっと感動してしまった。
質問者さんの素直な耳、感覚。とても素敵。でも、そうなんだよ、ベテランの方、プロの方に素人が何かを言うのって、ホント、勇気がいるんだよね……質問者さんの気持ちに共感。そして、担当調律師さんに相談して、書かれているようなお返事をもらった後、けっこう不安だったんじゃないかな、もやもやしたんじゃないかな、と思った。自分に対して、ピアノに対して、調律師さんに対して、疑いの気持ちも出てきちゃったり……。
「わたしがおかしいのかな」
「このピアノを買ったのは失敗だったのかな」
「この調律師さん、ちゃんと見てくれてるの?」
そんなふうに思ってしまったこともあるのは、わたしだけなのかしら。何が起きているのかも、どうしたら良いのかも分からない、かといって気にしないこともできない……不安で、不快で、つい何かのせい、誰かのせいにして楽をしたくなってしまう。とまぁ、自分の気持ちをたどってみたり。(調律師さんにもピアノにも「ごめんなさい」です)
質問に対する現役調律師さんたちの回答は、こんなふうに説明やアドバイスをしてもらえると、すごく安心できるなぁって思う。そして、こうしたやりとりができるとき、ピアノの“困りごと”は単なる困りごとや悪いことではなくなって、ピアノのこと、音のこと、それらとの付き合い方をまた少し知ったり学んだりできるきっかけになる……そんな“楽しみもあるもの”に意味が変わり得るんじゃないかと思う。
Yahoo!知恵袋のやりとりを読んで、わたしはとても楽しかった。あれこれと感じて、勝手に思って、涙ぐんだりもした。質問者さんと同じ困りごとがあってこのページにたどり着いた、というわけではないけれど、勉強になったし、ピアノという楽器がより面白く思えた。
先日、我が家のピアノも調律をしてもらった。オオハシさん(大橋ピアノ OHHASHI)をお迎えして3年、今の調律師さんにお会いしたのは今回で5回目だった。納品調律のときと、その後の定期調律が1年に1回、それから今年は2月にも一度来ていただいている(ちょっと困ったことが起きて、調整していただいた)。
以前、ヤマハのピアノを使っていたときにお世話になっていた調律師さんとは、ピアノについてあまり話をしなかった。オオハシさんになってからの今の調律師さんとは、けっこう話をする。気になること、困っていることを調律前にお伝えすると、しっかり見てくださるのはもちろんのこと、作業が全部終わった後に、原因と思われることやどのように調整したかなどを分かりやすく説明してくださる。話しぶりから、ピアノに対する愛情もよく伝わってくる。
話しやすい雰囲気の方で、こちらが何かを伝えたり質問したりすると、丁寧に応えてくれる。そのことがまた次の話しやすさ、質問のしやすさにつながる。本当にありがたいことだなと思う。オオハシさんのこと、ピアノのことを1つ、また1つと知っていけるのが、いつも楽しい。面白い。興味や愛着が増す。
多分なんだけど、オオハシさんって、いろんなことが起きやすいピアノなんじゃないだろうか。不具合が多いとか、問題が起きやすいとか、そう言いたいのではなく……「素直」とでも言えばいいのかな?職人さんによる手づくりのピアノであったり、大手メーカーが金属を使うところに木製部品を使っている、という箇所もあったりして、ほかにも関係することはあるかもしれないけれど、とにかく、なんていうか、“生き物的”なのです。そもそも楽器って、がちっとある状態に固定されたような、不動・不変の、単なる“物”ではなくて、常に動いていて、変化しているんだろうと思う。いろんなことの影響を受ける。天気や環境の影響も受ける。わたしたち人間と同じようなところがある。今の調律師さんがよく
「ピアノは生き物みたいなもので……」
というような言い方をするんだけど、本当にそうなんだろうなと思う。
その中でもより生き物的かもしれない我が家のオオハシさんは、ちょこっとずついろんなことを起こしてくる(?)。それをこちらが
「ああ、今日は(最近は)そんな感じなのね」
というくらいで受け止められることならいいんだけど、そればかりでもない。ときにはけっこう困って、悩ましくて、不安になったり苛立ったりすることもある。ただ……そういう場合でも大抵は、結果的に「その先に楽しみが待っている“今回のお題”」であったりする。その困りごとがきっかけでまた何かを知ったり学んだりできて、楽しくなっている自分がいるんだもの。
オオハシさんがちょこっとずつオオハシさん自身のことを教えてくれているみたいだ。言葉はしゃべらないけど、その代わりにいろんなことを起こして話しかけてくる(笑)。
これからも定期的に調律はするし、そのほかにも必要な調整があればする。けれど、楽器ってきっと“こちらの思い通りにする相手”というのとは違うんだろうなという気はしている。相手の性質や性格を知る、その相手との付き合い方を学ぶ、ということも大切、そう考えるほうがしっくりくる。良し悪しで判断しすぎない、発想を変える、変化に繊細に気づきながら、でも神経質にならず、おおらかにとらえる……そういったことが役に立ったりする。自分自身が問われている感じ。
今、こう思えているのは、オオハシさんとの出会い、調律師さんとの出会いによるところが大きい。オオハシさん、調律師さん、いつもいろんなことを教えてくれて、学ばせてくれて、本当にありがとう。
生き物的なオオハシさん×人間という生き物のわたし。←なんか書きたくなった。明日もオオハシさんと話し合いながら、練習を進めていく。
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